高喜商店の歴史



当店創業の地は東京湾に位置した「神奈川県川崎市川崎区」でした。 当時は海苔の養殖技術も今とは比べものにならないレベル。 現在は専用の網を使用し、安定した生産が可能ですが、当時は、 竹箒のようなものを海に沈めて、海苔が付着し成長するのを待ち、収穫していました。 そのような時代から私どもは海苔を扱っております。



当店創業の地は東京湾に位置した「神奈川県川崎市川崎区」でした。 空襲以前は、二代目 高田百太郎が海苔の他に卵を売り歩き、 そろばんが出来たことで、寺子屋もやっておりました。また妻のエイは 針を持ち、 着物の仕立てで生計を立てておりました。 そして当時では珍しい総ヒノキ造りの 一軒家を建てる事となりました。 しかし戦中の大空襲によって全てが消失。 百太郎は金庫の上に座り、焼け降りていく家を眺めていたそうです。 金庫番も兼ねていたのですが、一晩中その場所を動かけなかったそうです。 そして現在の拠点でイチからのスタートとなりました。 トラック導入は川崎市で3台目!!



戦後の復興期、当店は海苔の卸売りに加え、千葉の金田に仕切り場(今の市場のような機能)を設置。 収穫の時期は、寝る間を惜しんで作業をしておりました。当時はアクアラインもありません。 朝からの作業を終わらせ、トラックへ荷造りをし、川崎に戻ってくるのは日付が変わる時間となっておりました。 海苔に加え、鰹節を九州の枕崎から買い付けも開始し、地域の皆様と一緒に地域活性化を目標に商いをしておりました。 必死の商売の甲斐あって、自転車・リアカーからスタートした運搬手段がトラックを導入できるまでに復活したのです。 トラックを購入した当時は川崎市で3台目のトラックだったことが、今では当店の誇りとなっております。